2015年7月18日土曜日

3.思考

 自分の築きあげてきた世界を保つことはだいじだなあ。

 最近はめっきり忙しく、常に制作のことで頭を抱えている。研究会も和気あいあいというよりは矛先のような尖った緊張感が常にあって、ストレスがもう止めどなくそれはまるでナイアガラの滝のようにドバドバしている。最近は立ち上がることのできないジョーのような状態。寝ても寝ても寝足りず、たくさん寝てしまうわたしは今日も授業に出られず、ああ単位…。
 このほかにもたくさん異常なことが起こっていて、もうヘトヘトなわたしは、ストレス発散法というものをネットでググった。neverまとめの「ストレス発散法50個紹介」というページを見つけ、疲れ切った目でスクロールしていた。ピアスを開ける、とか過去にわたしが少しやったことのあるものもいくつか。その中で、「ブログを書く」というのを見つけて、あ!これだ!、と思った次第であるのです。

 ブログを書く、というのはツイッタとかインスタよりもどちらかといえば、プライベートな日記を世間に公開する、という感じ。なんというか、「語れる」のだよ。でも、ツイッタやインスタは即時的で、川(タイムライン)に草で作った小舟(ツイート)を流したらすぐに流れて見えなくなってしまうさらにツイッターには、明示されてないけど「属性」みたいのがあって、自分がつぶやく「べき」ことなんかもなんとなく自明で、属性色がついた川に小舟を流すというのはなんだが意外に変に気を使ったりする。ブログを書くというのは、属性など気にせず、自分の世界を淡々と積み上げるというかんじがするんだな〜。ブログは、「部屋」ってかんじ。
 最近わたしは、「部屋」的なものがどこにもなかった。困った。わたしが、腹割って本音を言える相手も場所もなんだかなくなっていた。人の顔色を伺ってばかりいて、最近は自分の意見というものがどっかへとんでいってしまったかんじなのだ。だから、いま、ブログを書こうと久しぶりに思いついた。それは誰のためでもなく、単純に自分が「自分の世界を保つ」というだけのため。わたしはわたしの精神をまともに保つためにブログを書いているのだ!

 たくさんな異常のなかに、しゃべることが困難になったというのがある。これは、人の顔色伺いすぎたせいで何言っていいのかわからない・馬鹿にされている気がして口から言葉を出せない、というような異常。いままではかなり雄弁な方で、舞台に立つと緊張していてもまるで空から自分を俯瞰しているかのような感覚でスラスラと話すことができた。だがもう困った、真反対。今度は自分の内側がぐーっとより内側に引っ張られるような感覚で口が開かなくなる。
 「ブログを書く」というのは、伝える相手がいなくともまたは見えなくとも、その他者に向かって話す口調で書きますよね。だから自分を一度客観視するという経過を取るような気がします。どういう構成で、どういう伝え方で、というアウトプットの仕方を、書きたい内容を一度把握した上で考える。これはいまのわたしにとても必要なことだと思うのです。

 キーワードは「自分の世界を保つ」と「客観視」だ!止まってしまった思考を取り戻そう。

0 件のコメント:

コメントを投稿